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練習って何だ? |
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そもそも練習って何だろう? そんなことは誰も他人から言われなくとも解っていることですよね。もちろん、自分自身が上達するために行う行動ですよね。辞書によれば「技能・芸事などが上達するように同じことを繰り返しならうこと」(三省堂、デイリーコンサイス国語辞典、2007)だそうです。 ここでのキーワードは「上達するように」と「繰り返しならう」ことです。この「ならう」は「習う」というよりも「倣う」ことでしょう。 私の考えでは、レッスンは「習う」もので、練習は「倣う」ものです。つまり、レッスンで、上達するために一人一人のゴルファーが何にフォーカスするべきなのかを「習い」、練習で自分自身で「倣う」のです。まあ、レッスンで習っていることがしばしば本質的な上達に結びつかないことも少なくないようですが、それは、ここでのフォーカスではありませんから、あくまでも習ったことが上達に結びつくという前提で話を進めましょう。 私の理論では、というよりも人間の動作のパターンにおいては、ゴルフ・スウィングは巷で言われているように「特別」なものではなく、極めてありふれた、誰もが普段の生活で自然に行っているパターンなのです。 ですから、練習でのフォーカスは、自ずとゴルフ・スウィングを独立した特別な動作として構築するということではなく、既に誰でも持っている動きのパターンとゴルフ・スウィングの架け橋を構築するということです。決して、何をやっているか自分自身がコントロールやイメージ出来ないものを闇雲に反復し、いつの日か突然出来るようになることを期待して行うものではありません。 私はしばしばレッスン中に生徒さんにお伝えするのですが、まず、何が正しいか理解しないと正しいことは出来ない。そして、自分自身が正しいことを行うということが、間違ったことを行っている自分とどう違うのかを感じられなければ正しいことは出来ないのです。 ここで、注意していただきたいのは、「正しいこと」と「正しいと考えていること」は根本的に異なりますし、「正しいことを行っている」と「正しいことを行っているつもり」も全く異なることだということです。頭で考えているから体がやってくれているだろうという考えは、あくまでも「淡い期待」だけであって、実際には「出来ていない」という前提で練習を進めた方が間違いなく効果的です。 自分自身の身体ですから、出来ているのか出来ていないのかを判断することはさほど難しいことではありません。しかし、ボールを打つことにフォーカスを持ち、良い当たりをすることをフォーカスにして練習する中では殆どの場合、正しいか正しくないかを感じることは出来ません。なぜなら、ボールに当てたい、良いショットを打ちたい(それが、本当にそうした結果を引き出すものであれ、そうでないものであれ)というフォーカスが出来てしまえば、そちらを感覚として優先させてしまうので、本来感じられるべきものでも、感じられなくなってしまうのです。 ゴルフ・スウィングは「如何にクラブを振るかだ」と考えているゴルファーが多いようですが、実際はそうではありません。如何に身体を動かすことによって、結果的にゴルフ・クラブが振られるかなのです。あくまでもスウィングの原動力はあなたの身体であり、動きとして身体を司ることは、頭で考えることではなく、感覚で身体を司ることなのです。 ということは、どれだけレッスン記事を読もうが、どんなに多くのレッスン書を読破しようが、どれだけ頻繁にレッスンを受けようが、要するに自分自身の感覚として正しい動きはどういう感じなのかということが感じられなければ何も成就しないのです。 つまり、練習とは、自分にとっての正しさを自分自身の感覚で捉え、正しくない全ての動きと差別化が出来、あらゆるショットに対して、自分自身の正しさを、その場その場で引き出せるようになるために「倣う」ことなのです。 こういったことをきちんと把握せずに練習をするということは、既存の自分のスウィングの動きを繰り返すだけですから、「無駄になる」のではなく、「上達するように」という目的がある中では「マイナス」なのです。 練習は、どれだけ、正しいことのみを繰り返せるかが効果的であるか、効果が無いかの分かれ道なのです。そのためには、絶対に「正しさ」を自分自身の感覚で判別できるようになることが不可欠なのです。 |
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